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カンチャナブリーで迎えた新年。
花火があがり、数々のランタンが上昇していく光景と、 なんとなく静かな雰囲気は、日本とは違う不思議な年越しでした。 昼間は灼熱地獄なのに、夜は少し肌寒いのも不思議でした。 タイでは1月の新年よりも4月にある「正月」のほうが盛り上がるそうです。 さて。 明けて翌日。 31日は列車の遅れでろくに見学できなかった カンチャナブリーの街をブラブラ。 JEATH博物館、泰緬鉄道博物館とめぐりましたが、 捕虜の強制労働という史実から、どうしても捕虜の悲惨さを クローズアップしたものになるため、どう見ても日本人が悪者。 そのせいなのか、日本と因縁深い展示であるはずなのに、 日本語の説明がいっさいありません。 期待する方が無理なのかもしれませんが、 結構日本人の団体さんもいたので、 日本語の説明があってもいいのかもしれませんが。 ちなみに、泰緬鉄道博物館ですが、展示解説ボードのデザインとして 線路地図が使われているのですが、なぜか「小海線」です。 カンチャナブリーで「中込駅」の標高を知ることができます。 また、泰緬鉄道博物館は冷房が効いているうえ、 コーヒーのサービス券付きなので暑さに疲れたあとに見学すると いい感じに休憩できます。 休憩の後、四輪トゥクトゥク(?)でクワイ川へ。 タイ仕様になったC56が出迎えてくれますが、 全く手入れされてない荒廃っぷりに少し悲しくなります。 クワイ川にかかるアーチ形と台形形橋梁をもつこの橋梁が、 「戦場にかける橋」の舞台となったクワイ川橋梁(メクロン永久橋)です。 映画を見たことある人ならわかると思いますが、 映画と全く形が違います。ロケーションも映画では山深い渓谷でしたが、 実際には渓谷と言うか普通の「大きな川」です。 なぜあんな形になったのかはわかりませんが、 実際のクワイ川橋梁は本当に普通の鉄橋でした。 このアーチ形の部分が泰緬鉄道時代のもので、 台形の部分が米軍の空襲を受けて破壊した橋梁を 戦後復旧した部分になります。 橋の上は自由に歩けます。 ただ、現役の鉄道橋梁のため、安全設備も最低限のものしかなく、 ちょっと足を踏み外せば、すぐに川へダイブできます。 通常の定期列車が来ないときはこのような観光トロッコが頻繁に行き来しており、 橋の上を歩くときはこのトロッコに要注意です。 この台形部分には製造所プレートが残っていて、 「YOKOGAWA BRIDGE WORKS TOKYO JAPAN」 と書かれており、日本の横河橋梁が製造したことがわかります。 アーチ部分のプレートを見つけることはできませんでした。 橋のたもとには「クワイ川鉄橋駅」があり、 そこを中心に様々な店がでており、賑やかな観光地です。 が、ここは戦争の舞台となった場所です。 日本の第二次大戦中の戦跡というと、 どうしても陰気なイメージがついてまわりますが、 世界中から人が集まる観光地ということもあり、 ここは信じられないくらい華やかです。 65年前、この上空を米軍の爆撃機が飛び交い、 いっぱい人が死んだ場所なのに、です。 観光地になっているからこそ、 本来ならジャングルの中にあるはずの クワイ川橋梁へ簡単にアクセスできた訳なので、 ごちゃごちゃ言うのもアレなのですが、 このあたりのあっけらかんとした雰囲気が これまた不思議でした。 橋を眺めながら、ここで行われた戦争を思い浮かべる。 空を飛び交う爆撃機とそれに応戦する日本軍の対空砲。 そして、この橋をビルマに向けて走っていくC56蒸気機関車。 アーチ形の部分はそんな歴史を知っている訳で、 歴史の重みを実感…。 …なんですが、建造物を見て、 そういうふうにしみじみと過去を偲ぶのは日本人だけのようで、 橋を渡る人々は、みな嬉しそうに楽しそうに、 目一杯はしゃぎながら渡っていました。
by sherpa_kl250
| 2011-01-16 22:49
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